みなさん、初めまして! ネコ好きブログオーナーのbunta52です。
☆ わたしのロック風ギターサウンド(オリジナル曲)を聴いてくださいまし~♪
- 2017/7/18 -

★★ オリジナル 8曲を流してますー♪ ★★


MAROON5

 2012/04/30 20:25
ご無沙汰してます。
あすから5月。ついこの間まで寒いと言ってたのに・・・。GW休みが明けると、うちの会社ではクールビズが始まります。いやはや、春は来たっけ?と思うぐらい、春の余韻を感じる間がなかったですね。
さてさて、洋楽が好きな割りには、数ある有名なバンドや歌手をあまり知らない bunta ですが、きょうのお題は M ではじまるバンドです。これなんかいいんじゃないでしょうか?


    MAROON5  
    http://www.myspace.com/Maroon5

マルーンファイブ は、US・ロサンゼルスで結成した5人組ロックバンド。アルバムごとに異なるサウンドを鳴らすなど幅広い音楽性を持ち、ロックバンドにしては珍しい艶のあるヴォーカルも特徴であると言われ、2002年発表の、ロックに、ファンク、ソウル、R&Bなどのブラックミュージックを融合させたマルーン5としてのデビューアルバム『ソングズ・アバウト・ジェーン』で1000万枚を売り上げ、グラミー賞最優秀新人賞を含む数々の賞に輝いたとウィキペディアに紹介されております。



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             アダム・レヴィーン (Adam Levine) - (Vocals, Guitar) 左上・右下
             ジェイムス・ヴァレンタイン (James Valentine) - (Guitar) 上中
             ジェシー・カーマイケル (Jesse Carmichael) - (Keyboards) 左下
             ミッキー・マデン (Mickey Madden) - (Bass) 右上
             マット・フリン (Matt Flynn) - (Drums) 下中      


Misery





ベースのミッキー・マデンがバンドのことを次のように語っています。
(MAROON5のWEBSITEから引用&ちょっとパクリします)

 maroon5_4.jpg       maroon5_3.jpg

アダムとジェシーと僕が一緒に音楽を始めたのはジュニア・ハイスクール時代で、当時はニルヴァーナやパール・ジャムといったバンドがシーンを大いに震撼させていた。僕らはいつもマリブにあるジェシーのガレージか、ブレントウッドにあるデイヴィッド・リッチマンの家の地下室でプレイしていた。数人のプレイヤーが入れ替わり立ち代わり、やって来ては去っていった――記録にとどめるべきはアダム・ザルツマン、エイミー・ウッド、ジェシー・ニチタといったところだったが、1994年、ようやくライアン・デュシックというドラマーを得て、Kara's Flowersといういささか痛い名前のバンドが生まれた。僕らより2つ年上で、学校でも屈指の優れたミュージシャンであるライアンをメンバーに加えられたことは、僕らにとって大金星だった。

ライアンは自分で曲も書いていて、彼とアダムのコラボレーションは、"ヘヴィ"あるいは"陰鬱"という表現がピッタリの当時の僕らのマテリアルの中核をなしていた。歌詞は"ナンセンス"と呼ばれても致し方なかっただろう。それを1年ばかり続けていくうちに、思春期にはありがちなことだが僕らのテイストは徐々に変化し、半ば取り憑かれたような一大ビートルマニア期へと突入して行き、ラウドなギターをフィーチュアした底抜けに明るいポップ・ソング三昧、しまいには似合いもしない揃いのスーツを着込むという有様だった。

もっともこれらの曲のおかげで僕らはワーナー・ブラザースとレコード契約を交わし、ハリウッドの一流マネジメント会社に面倒を見てもらうことになったのである。僕らはレコードを作り、巨額の出費をし、とてもおかしな取り合わせのツアーに何度か出て、数千枚のレコードを売り上げた。

その後2年ばかりはグループ再編及び更なるシャッフルと、"クラシック・ロック"路線やフォーク路線の曲を書くという試みに費やされ、遂にはあわやタオルを投げ入れようかというギリギリのところまで追い詰められた。アダムとジェシーはロング・アイランドの冒険を続け、信じられないようなハイペースで大陸横断をし、音楽の勉強をしようとファイヴ・タウンズ・カレッジに半年籍を置いたが、大半の時間をクラスメートの色とりどりのニックネームを考えることと、ソウルやゴスペル、R&Bにヒップホップを聴いて過ごした。

そんなわけで、Kara's Flowersの潔い慣例に則り、僕らはその前の年までプレイしていた曲をすべて棄て、アダムとジェシーの帰還と共に新たなスタートを切ることにした。


               Adam Levine
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This Love



後に『Songs About Jane』に収められることになる曲が書かれ始めたのはちょうどこの頃で、それから翌年いっぱいにかけて、僕らはアルバムの半分に当たる曲を書き上げ、デモをレコーディングし、それがやがて新たなレコード契約を呼び込むことになった。今度の相手は設立されたばかりのオクトーンという若く果敢なレーベルで、こちらも新興の若く勇気ある大手、Jレコードの傘下にあり、更にそのJレコードはもはや若くはない、偉大かつ強大なるBMGに属していた。ジェームスはこの頃ネブラスカから僕らがデモを録っていたLAに居を移しており、僕らは共通の友人たちを通じて彼とスクエアのバンド・メンバーたちとは顔見知りになっていた。

そんなわけで、セッションの際ギター・テクが必要になるといつも、僕らはジェームスに助けを求め、彼の弦交換とギター・チューニングの手際の良さを大いに頼りにしていた。そしてジェシーが6弦から88鍵(ピアノ)に乗り換えることになり、もうひとりギタリストが必要だという話になった時、僕らは当然のように彼のギター演奏の腕に頼ることにしたのである。

新たなメンバーを加え、次々に書きおろされていく沢山の新しい曲たちと共に、僕らは新しいスタートを切ったという手応えを確かなものにするため、バンド名をマルーン5と改名した。この名前がどこからついたのかについてはあくまで秘密で、僕ら5人以外ではビリー・ジョエルしかその由来を知らない。


Secret



僕らはそれから『Songs About Jane』を書き上げ、プロデューサーのマット・ウォレスとエンジニアのマイク・ランドルトと共にLAでレコーディングに入り、夥しい量のファストフードを消費し、ガンガン巻きを入れられながら、アルバムの完成に漕ぎ着け、自分たちではコレは完全に外したと思いながらもリリースを迎え、2002年1月25日にはサンセットのタワー・レコード(R.I.P.)でリリース・パーティーを行ない、ツアーに出かけ、大成功を収め、ミシガン州ストークヴィルで数回のショウをこなし、より快適な道中のためにヴァンの座席構造を変更し、小便の匂いのするきわめて乗り心地の悪いRVで移動を重ねた挙句、ようやく手に入れた最初のツアー・バスを畏敬の念をこめて見つめ、僅か5分の間にザ・ボスとジェイ・Zに会い、バンド結成10周年目にして初のプラチナ・ディスクを獲得し、ツアーを続け、グラミー賞を受賞し(!)、その間に大勢の友人たちを得、あちらこちらで新しい曲を書き、またグラミー賞を獲得し(ナンてこったい)、ストーンズの前座を務め、西洋世界をたっぷり見て回り、東洋世界もちょっぴり味わいつつ、更にツアーを続けた。

残念なことに、度重なる長時間移動とショウによって蓄積された肉体的疲労はライアンの身体に大いなるダメージを与え、腕をひどく痛めた彼は演奏活動を休止せざるを得なくなってしまった。

しばらくの間、僕らはそれをほんの一時的なものだと思っていたが、それから数ヶ月待っても、彼の病気に関する明確な診断は一向にあがって来なかった。ギリギリまで待って、これはいよいよツアーキャンセルか、という土壇場になって、僕らを救ってくれたのはマット・フリンで、彼はたった二晩の間に僕らのアルバムの全曲のドラム・パートを完璧にマスターしてくれたのである。

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彼は結局ツアーの最後まで僕らに付き合ってくれて、そのままレコーディングにも参加してくれることになった。マットとプレイするようになって一年半の歳月が過ぎ、ライアンの体調は相変わらず回復の兆しが見えない状況の中で、僕らはいまだかつてない残酷な決断を迫られることとなった。かくしてマットを正式メンバーとして迎えた僕らは新たな時代に足を踏み入れることとなったが、実にありがたいことに、プレイヤーとして圧倒的に素晴らしいのみならず人間的にも優れた人物である彼のおかげで、僕らにとってこの移行は思っていたより遥かに容易なものになった。


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MAROON5
最後の数本のショウの後、一ヶ月間のオフを経て、僕らは次のアルバムの曲作りのために、ローレル・キャニオンのフーディーニ・マンションに集まった。ジェームスとジェシーは実際にこの屋敷に寝泊りし、僕を含む他のメンバーたちは毎日通いの形を取って、ジャムってはレコーディングを重ね、曲を組み立て、毎晩同じセットの曲ばかりをプレイしていた長い年月の間にパンパンに膨れ上がっていたクリエイテイヴィティを思う存分解き放った。

僕らの旧友であり、"This Love"と"Harder To Breathe"のデモのエンジニアであるジェイソン・レダーが、これらのセッションでも僕らの同志となり、コ・プロデューサーを務めてくれた。あの家には様々な有名なエピソードや噂があり、とりわけ最も知られているのが「幽霊が出る」というやつだが、それより何より『Blood Sugar Sex Magik』のセッションが行なわれた場所であり、コントロール・ルームに設置されたミキシング・ボードは、かつて『Songs In The Key Of Life』、『Born In The USA』、『Double Fantasy』、『Emotional Rescue』その他数多くの歴史的名作がレコーディングされた、あのヒット・ファクトリーのボードなのである。

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後に僕らのセカンド・アルバムに収められることになる大半の楽曲は、このローレル・キャニオンで過ごした数ヶ月の間に書かれ、デモ録音されていたものだ。プロデューサーのキャスティング作業に入った僕らは、しばしの熟考の後、マイク・エリソンドと"スパイク"ステントというチームを起用することを決めたが、この2人はどちらも実に素晴らしい手腕の持ち主であり、しかも一緒に仕事をするのが最高に楽しい連中だった。(ちなみに、1992年のVMA(Video Music Awards)に出演したGN'Rの"November Rain"のパフォーマンス映像で、バックのストリング・セクションに目を凝らして見ると、ダブル・ベースを弾いている19歳のエリソンドが観られるよ)

バンドにとってはセンチメンタルな思い入れたっぷりの大好きなコンウェイ・スタジオ(オクトーンとの契約のきっかけになったセッションはここで行なった)で、僕らは数ヶ月をかけてアルバムの大部分の録音作業を終え、短い休みを入れた後、僕らはバーバンクに再集結し、第一次レコーディング工程を完了させた。それから数ヶ月の間、僕らはそれまでにレコーディングしたものをウンザリするほど聴き返して過ごした挙句、やがてここには音楽的に未処理の部分が幾つかあり、きっちりカタをつけなければ先には進めないという結論に達した。

そこで僕らは新たな客観性とフレッシュな耳を求めて、エリック・ヴァレンタインとマーク・エンダートと共にそれぞれ一度ずつの追加セッションを行なった。これらのセッションから生まれたのが"Can't Stop"、 "Makes Me Wonder"、 "A Little of Your Time"、そして "Back at Your Door"で、他にも前にレコーディングしていたものにあれやこれやと手を加えたりした。こうした3つの意義深いセッションが結実し、『It Won't Be Soon Before Long』は完成をみたが、アルバムのリリース(2007年5月)を待たずに、僕らのツアー生活が再びギア全開で始まった。

僕らはそれからの実に約2年間を、このアルバムをサポートするツアーに費やしたのである。2008年の間に、僕らは南極大陸を除く地球の全大陸を訪れ、『SAJ』ツアーの時には日程に入っていなかったケープタウン、マニラ、ソウル、ブエノスアイレス、カラカス、ボルドー、モスクワといった都市(これは僕らのお気に入りになったうちのほんの一握り)でライヴを行なった。

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この最も大きなカルチャーショックの連続だったツアーの歳月を終えた後、僕らはそろそろ必要になってきていた、家で曲を書いたり、真似事だけでもごく普通の家庭生活や日常生活を送る時間を得るために、ハリウッドの東の町ロス・フェリスに再集合した。新しい曲が徐々に具体的な形を見せ始めた矢先、僕らはマット・ラングが僕らと会ってコラボレーションの可能性を探りたがっているという話を聞いた。最初のうちはまるっきり信じられないまま、音楽界におけるラング氏の名前に連なる様々なジャンルと時代にわたる比類なき輝かしい成功の軌跡をググっては驚嘆するばかりの僕らだったが、幸運なことに間もなく僕らは彼本人と非公式の席で対面する機会に恵まれた。

マットの強迫的なまでのディテイルに対するこだわりと、徹底的な完璧主義に関する数え切れないほどのエピソードを耳にし、また彼が長年にわたって自分のパブリック・イメージを本質的になきものにするために、どれほど躍起になってプライヴァシーをガードしてきたかを知っている僕らは、一体何を(あるいはどんな人物を)期待すべきなのかも分からないまま、ただいや増す好奇心に駆られるばかりだった。

そして僕らの誰もが予想もしなかったことに、やって来たのは実に気さくで優しい、控えめな人物で、僕らのバンドに対する大いなる敬愛の念と、純粋にコラボレーションをしたいという非常にささやかな願望を表明し、それには楽曲を録音物という形で具現化するのが一番ではないか、と語ったのである。彼の柔らかな物腰のおかげで、僕らは彼こそが今回のプロデューサー役に最適の人物であるという結論に容易に達した。

実際のところはマットが僕らの音楽をプロデュースすることに興味を示した時点でもう既に決まっていたことだったのだが・・・。


Makes Me Wonder


今回のアルバムは僕らにとって、これまでのどの作品よりも自信作であり、ライヴでのお披露目のためにリハーサルを重ね、更にそれぞれの曲に対する理解を深め始めている現在、ワクワクする気持ちは日に日に高まるばかりだ。みんな、近いうちに会おうね。・・・とミッキーが言ってますね。


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Payphone

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・・・MAROON5 でした。
きょうはボリューム満点、1ヶ月は持ちそうですね^^
ではでは・・・☆



ADD (おまけ)

BABYMETAL
babymetal_2.jpg

BABYMETAL



BABYMETAL


BABYMETAL



ADD (もういっちょー おまけ)
 bunta52のオリジナル曲

Don't close your heart !!

Don't close your heart !!
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